文明を紡ぐ文化的遺伝子 ミーム

 我々人類を初めとする全ての生命は、親の世代から遺伝子を引き継ぎ、絶えず自己増殖を繰り返す。遺伝子には個体を作り上げる情報が書き込まれ、生殖によって遺伝情報は複製されていく。ダーウィンによれば、生物の進化は遺伝子の複製エラーによる突然変異により発生し、環境の変化に対応した適応種のみが子孫を残すとされている。しかし、 親から子へと伝承されるが、遺伝子には載らない情報がある。それがミーム(Meme)だ。


ミームとは生物学者のリチャード・ドーキンスによって提唱された概念であり「文字、言語、思想、物語、芸術、宗教、数学、製造法、建築術」など、言葉や書物によって次の世代に受け継がれる情報のことである。これらの情報は生得しておらず、親世代からの教育や自らの経験によって体得する必要がある。例えば生まれたばかりの赤ん坊は、親が日本人であれば環境の中で日本語を習得し、キリスト教のコミュニティで育てられればキリスト教徒の価値観を身につける。だが、これらの言語や思想は遺伝情報には記載されていない。
 

人間は脳の進化と共に言語を習得し、文字を発明したことで、ミームを次世代に紡ぐことを可能にした。そしてミームは人類が文化を築く上で極めて重大な役割を果たしている。少し考えれば分かることだが、私たちが普段利用している「言語、数学、衣服、武器、家具、乗り物、電気、コンピュータ」などは過去の発明家たちの創造物である。もし、先祖が文字を発明したとしても、それが1代限りで次世代に継承されなければ、人類は文明を築くことすら不可能であっただろう。

だが実際には、革新的で型破りなホモ・サピエンスの個体(おそらく複数)が「言葉や情景を記号化」することを思いつき、「文字」というミームを発明した。初めは土器や土偶に刻み込む文様だったかもしれないが、長い年月をかけて特定のパターンを共同体の中で共有することで、文字による記録と伝達が可能となった。数字もおなじように、物体の個数を表す記号として発明され、これらはやがて、世界の法則を解き明かす数学や物理学へと発展した。


軍隊や警察組織に使用される武器も、初めは猿が棍棒を振ります程度のものから、棒先に石器を括り付けた武器へと進化し、槍や弓に発展した。やがて火薬や製鉄技術が発見されると、武器はより強大なものへと進化し、人類の殺戮能力は飛躍的に向上した。


宗教についても同様であり、自然に対する畏怖や崇拝が原始宗教を生み出した。原始宗教はやがて多神教や一神教へと発展し、人々の生活基盤として、権力者の道具として人類に欠かすことのできない存在となった。グーテンベルクにより大量印刷された聖書は、キリスト教というミームを爆発的に広め、歴史をも動かした。

このように個体が創り上げた概念や道具は、その有益性から他の個体に模倣され、次の世代へと継承されていく。個体が生み出した有益なミームは自己増殖機能を持ち、人類は先祖が創り上げたミームの蓄積の上で、文明社会を維持しているのである。

もし21世紀の現代に隕石が衝突したら、あるいは核戦争により人類の大半が死滅したとしたらどうなるだろう?文明社会を維持してきた科学技術や文化は一瞬にして消え去り、次世代が高度な文明社会を再建するには、長い年月が必要であるだろう。ホモ・サピエンスはミームによって、他の種族よりも圧倒的に高度な文明を築くことができた。


そして個体によって生み出されたミームは、突然変異を起こす遺伝子のように、世代を重ねるごとに少しずつ変化を遂げる。言語を例にあげると分かりやすいが、日本語については中国大陸から漢字が輸入され、それがひらがなやカタカナへと進化し、現代ではアルファベットや顔文字へと発展している。このような変化はありとあらゆるミームに該当し、それはまるで単細胞生物から多種多様な生物へと進化を遂げた、生命体と驚くほど類似している。そして我々人類は、ミームという文化的遺伝子を手に入れたことで、遺伝子の突然変異を遥かに上回る速度で進化を遂げたといえる。


また人類によるミームの獲得は、生殖という遺伝子の複製行為に対する価値観を変貌させたように思える。究極的にいえば、寿命とは自分の遺伝子を後世に引き継ぐための猶予期間であり、自らの遺伝情報を残せない(生殖に失敗した)個体の情報は消滅してしまう。しかし、冷静に考えてみると有性生殖で子孫を残す人間は、子の世代には1/2の遺伝情報しか引き継ぐことができない。孫の世代となれば1/4であり、ひ孫の世代では1/8である。世代を重ねるごとに自らの遺伝情報は希釈され、50世代も経過すればもはや自分とは関係の無い別な個体といえる。

しかし、 直接的な遺伝情報を残さずとも、ミームという文化的遺伝子を後世に遺した人間は一定数存在している。例を挙げればキリがないが、「アルキメデス、アリストテレス、プラトン、ソクラテス、ピタゴラス、釈迦、キリスト、紫式部、ベートーヴェン、ダヴィンチ、ミケランジェロ、シェークスピア、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン」など、彼らが創り上げたミームは、その死後も後世に語り紡がれ、直接的な遺伝以上に継承されていると言える。

そしてインターネットの登場により、個人が発信した情報はリアルタイムに記録され、デジタル情報として電脳空間に蓄積していく。個体が創り上げた情報(インターネットミーム)は生命体のように、電脳空間に拡散され、変異しながら別な個体へと継承される。Googleは全世界の地図データを仮想地球にマッピングし、WEBの情報みならず、全世界の書籍のデジタル化を試みている。このようなインターネットにおけるミームの蓄積は、歴史上類を見ない速度であり、有益な情報を発見するのが困難な程である。


しかし、過去の歴史においては、増えすぎた個体や変化に適用できない個体は何らかの形で淘汰がされてきた。人類が獲得したミームは、高度な文明を築くのに重大な役割をもたらしてきたが、未来において人類にどのような影響を与えるのか?人工知能(統計解析)による取捨選択、帝国化する巨大企業による情報検閲、世界大戦によるインターネットのブロック化、電脳テロリストによるインターネットの破壊、などあらゆる可能性が考えられるが、未来においてミームが人類に与える影響は未知数である。


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